●SWEET LOVE SHOWER’08

山中湖での夏フェス。

初めて「ペンション」で一泊

2008年8月31日、コドモ夏休み最後の日。
山中湖で開催されるスペースシャワーの夏フェス「SWEET LOVE SHOWER’08」へ。
よく行く山中湖だが、家族でペンションに泊まるなんてのははじめて。
例の通り急な決断・決行だったため、いろいろと宿泊スタイルを選択する余地はなかったのだが、結果オーライ。
駐車場も確保されて、しかも会場までは歩いていける好ロケーション。
横浜を出発した時からあやしい曇り空で、山中湖周辺の天気予報も朝からずっと雨とのこと。しかし、道中時々青い空がチラホラ。会場に着いたときは傘いらずでホッと一安心。
今回の家族3人共通の目当ては10−FEET、ホルモン、スカパラ。superflyも気になってますって感じ。で、もひとつ気になるのは、スペシャのイベントでは、ビールや食べ物の相場がどんなもんかってことだった。(なんてことはない、予想通りだったのですが)

開演前。メインステージの10−FEET待ち。

バスが到着する度にドカドカと人が会場に流れ込む。

天気が不安定なのも夏フェスらしさを煽る。

ステージではホルモンのメンバーがサウンドチェック。

夜には雨が。。。

ラストはスカパラ。高校の後輩くん、楽しそうにタイコ叩いてました。

終演。。。

雨でもこの笑顔

翌朝。慣れないペンションで朝食。

人ん家の食卓みたいでほのぼの&ウマい!

普段の夏は、体育会系の合宿で大賑わいの山中湖。

マキシマム ザ ホルモンのナヲちゃんに初めて会った2006年12月の10-FEETのライブ

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● 歴史的瞬間?

1位、ビリ。。。

昨晩、ウェブ友さんがテレビ見ていて
思わず
「テレビ特有の“やらせか!”」と、
叫んだとか叫ばなかった、とか。。。
1位  ビリ
2位の「ミフネビッチ」って名前も
強そうです。

● 最終回 アントキのデキゴト

本文とは関係ありません

白い革製品のポシェットを提げていることがわかったのもここまで近くに来たときだった。
しかし、絵的にはよく見えたものの、その異様なムードはなんて表現すればいいのかまったくわからない。抱いている布に包まれたコドモもあくまでコドモ状のものにしか見えない。
布からはみ出ている頭部はもの凄い量と長さの黒々とした毛髪状のものだった。
歩く歩幅を小刻みに、かつゆっくりとしつつ、なるべくその後の経過を見守ろうとするも、目標地点は過ぎたので、少しずつ遠く離れざるを得ない。
時々振り返って確かめていたら、ある時からフッと何か(もはや「何か」としか書けない!)を抱いていた男がいない。でも、女性の方は相変わらず同じ方向を向いたまま立っている。
しかし、幽霊のように消えたのではなく、よく見れば男は家の中へ続く階段の方に向かっていた。それがかろうじて見えた。でも、手ぶらだったのである。
立ったままの女性も最初に見たときと同じように立っている。そして、男が見えなくなった
頃合で、同じ階段の方へ向かっていった。そして、最後にチラッとコッチの方を見たのである。
文字にして書くと、これ以上のことは何もなく、今、冷静になってみれば人に話せるほど出来の良い怪談でもなんでもないかもしれない。でも、あのリアルタイムで感じた恐怖といったらなかった。怖いのかどうかわからないものだから、怖くなるまで凝視してしまう感じ? 実は深層心理では「怖い」結論を求めていたかのような自分のそのときの反応にも驚かされる。
ところで、あそこの新築建売の一角って、人はもう住んでいるんだったろうか? まだ、売り出し中の旗も飾ってあったような気もする。ところどころ住み始めてはいたのは知っているのだが。果たしてあの、階段の家はどっちなのだろう?

● あの日の出来事。。。その弐

向かい合った2人の距離は、中途半端に離れている。
男性に抱かれているコドモはこの暑い日に布でグルグル巻き。かろうじて頭の部分が見えていて、その髪の毛がなんか大人みたいに真っ黒い剛毛。しかも身体全体は変に棒状に見えた。(同世代限定の例えで言えば、楳図 かずおの「タマミ」みたいな感じだ) 
そんな例えに気付いたあたりから、私も薄気味悪さを感じ出した。距離にしてまだ50mくらいは離れていただろうか。。。
じっと動きもしないタマミを抱いているような男。そしてそれを少し離れて見ている女性。会話や何か意思の疎通がある2人であれば、道路の反対側からでもそれが感じられるはずの距離まで近付いた。
しかし一向に2人の間の奇妙なムードは変わらない。少しでも会話をしてくれたらどんだけコチラも気が楽になっただろうか。
ちなみに時間も時間なので、街燈は省エネモード。一つおきに街燈は消灯され、ちょうど向かい側を歩いている時、私の側の街燈は消えているので真っ暗。私の気配は相手には伝わってなさそうである。一方、向こう側はちょうど街燈の下なので様子がよく見えた。白い革製品のポシェットを提げていることがわかったのもここまで近くに来たときだった。

● ある日の出来事。。。。その壱

先日、編集部内の決起大会よろしく呑み会があって、終電ギリギリで帰宅。
バスのない時間の場合、一つ先の駅で降りてテクテクと歩いて帰るのだが、家の近くになって思わぬ光景に出くわした。
オバケとか火の玉とかってのも怖いと思うけど、理解不能な光景、意味不明の動きを変な時間に見ることほど怖いものはないと実感。その時の出来事を日記として残しておこうと決意した。
 某小学校のところから自宅までの銀杏並木の直線に差し掛かったところ、建売されたばかりの戸建住宅群の一軒の前に人影が。まだ、100mくらい先で、しかも私が歩いている側と車道を挟んで向かい側なので、はっきりは見えない。ま、新築なのでダンナが外でタバコでも吸ってるんだろう、くらいのもので何とも思わず歩き続けた。
 その家が近づくにつれ詳細がよく見えてきた。男の人は布に包(くる)まった小さな子供を抱いていて、その真正面に奥さんらしき女性が立っている。会話もせずに、ただじっと立っている。女性は、腰に斜めがけで白い皮状っぽいポーチを提げ、パンタロンみたいなズボン。(ファッション関連の語彙が足りなくて申し訳ないが、要は2人とも寝巻きや部屋着ではなかったということだ)
直線の道なので100mくらい先からずっと2人の様子は見えていた。
最初は、コドモが夜中に熱でも出して救急車でも呼んで、それを待っているのかな?
とか、
何かをコドモが飲み込んでしまって……みたいな、まあ、小さなコドモのいる家庭にはありがちなちょっとしたトラブルを想像していた。でも、なんか変な空気感が漂っていた。
つづく

● タモリの勧進帳。もう一つの謎

81年 菊千代と不二夫 (C)asahi.com

赤塚不二夫が他界してしまった。
自分がコドモだった頃の何気ない日常生活の中で、気が付けばすぐそばにいつもいるような感じ。ギャグとしては当たり前のように影響を受けていて、そして学校の教科書とは別の教科書とも言える著作の数々。

あまりにも自分の記憶の中の大きなシェアを占めている氏について、大人になった今、あらたまって“赤塚先生”なんて書くのが照れくさいくらい身近な存在だった気がします。

タリラリラーン

小学2年生くらいの頃に、小学館から出ていた入門シリーズの「マンガ入門」を手に入れたこともよく憶えてます。たしか監修は赤塚不二夫だった。いや、挿絵を担当していただけだったのかもしれないが、当時、読んでいると赤塚不二夫にアドバイスされていた気分になっていた記憶は、かすかだがしっかりと残っています。

書いてて思い出したけど、この入門シリーズ「野球入門」やら「将棋入門」まで、いろんなの持っていました。特に巳年世代・昭和40年男・女の方々。友達の家に行ってもこのシリーズが何冊か机に並んでいたりしたものです。表紙・背表紙の装丁、とても印象に残ってて、そうそう、甲子園のマウンドに立ったことが自慢の叔父さんが、「野球入門」ぢゃなく「スケート入門」をくれたことも印象深い出来事として深く脳裏に刻まれています。

それにしても、最近のコドモたちに比べてワシら巳年世代は、何気にいろんな趣味にすぐ首を突っ込んでいた気がします。当時の小学生、好奇心旺盛過ぎ。野球から釣り、ラジオ作り、漫画描いたり、鉄道だったり、切手だったり…ふれ幅も広い!

ZICCA NOW http://wonder.pepper.jp/2013/01/01/zicca-now-2/

でも、そんな時代、いつも赤塚ギャグが傍にありました。共通言語だったのか、仲間意識を高めるためのある種のツールだったのか? なんて言えばいいのかわからないけど、赤塚ギャグで同世代が繋がっていたのだ。今風に言うと「共有感」ってやつかもしれない。
それは、他校の連中と一緒になるような地元の水泳教室や、ボーイスカウト的なアウトドアイベント、少年野球、その他もろもろの習い事などの場で顕著に感じられたものでした。

まったく別のエリアの小学生同士が最初はけん制しあいながらも、赤塚ギャグでお互いの心が繋がっていくのです。

赤塚不二夫が病床に臥すようになる少し前の頃だろうか、当時の仕事仲間で編集部の同僚であり、今会えば「戦友だった」と言ってくる某氏(氏なんて呼び方はとても似合わない男だが)が、モノクロページの企画で赤塚不二夫を訪ねてインタビューした。 ※追記 イノマーのことですな。R.I.P.

お酒は完全に止められる程身体の具合もよろしくなく、普段から杖をついて歩く状態だったというが、マネージャーだか娘さんだか(前妻だか本妻)が部屋から出て、取材チームと赤塚不二夫だけになったとたん、その杖の持ち手の部分をひねって、そこからウイスキーの小瓶を出したという。

「お前も呑まないとインタビューは始まらん」とかなんとか言われたそうだ。

杖にカラクリの仕掛けがあって、そこに酒が隠してあるのだ。
取材から帰ってきてその同僚から聞いた話は、その後原稿になった部分とはまた違った面白さに溢れていた。(というより、とても原稿にして公けにはできない話だ、下品過ぎて!)

ただ、そんな馬鹿話からは、元気そうではあるけど実はそうでもなさそうな深刻さもちょっと伝わってきたことも憶えています。

タリラリラーンのコニャニャチワ

08年8月2日に亡くなり、7日の葬儀でのタモリさんの弔辞には心を打たれた。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい“意味の世界”から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
(タモリさんの弔辞より)

ちなみに、ほとんどの新聞社・放送局がこのタモリさんの言葉の中の

“意味の世界”というところを

“陰(イン)の世界から解放され~”と書いていた。
(タモさんの発音的にはそう聞こえなくもないのだが。。。)

 “赤塚不二夫”的なものをこってりと身近に感じて育った人ならば見当が付くように、ここは“イミ(意味)の世界”とするのが正しいと思う。

つまりあの時代に席巻したしたナンセンスギャグのことだろう。赤塚不二夫といえば“意味”から解放された例のナンセンスギャグ(=意味のわからないギャグ)だった。

赤塚不二夫をセンセーと呼ぶのなら、あえてセートと言えそうな世代の一人としては、そう思わずにはいられない。どこかのテレビ局がテロップで「陰の世界~」と出してからは、週刊誌、Webを含むほとんどのメディアが「陰の世界」としているけど、多数が正解とは限らないよなァ。。。

すなわち、「これでいいのだ!」。

「私もあなたの数多くの作品の1つです」。
by タモリ

赤塚不二夫トリビュート
~四十一才の春だから~

人選、選曲、アレンジ、すべてにおいて優れたトリビュート・アルバム。
サイケデリックノイズテクノ(?)の「きれいなきんたま」など、結構クセになる名曲・珍曲揃い。

 NA.NO.DA      電気グルーヴ×スチャダラパー
 DISCOVER WAR-自衛隊賛歌 ミドリ(後藤まりこ)※中山千夏のカバー
 きれいなきんたま    EYE with KABAMIX
 逃げろ!ウナギイヌ!   ランキン・タクシー&ホワイ・シープ?
 モーレツア太郎     筋肉少女帯 HAIR STYLISTICS Remix
 
特にカッコイイこの5曲のほか、小西康陽、曽我部恵一、NONA REEVESらによるバカボン・カバー曲を含む全15曲収録の1枚。