K/Coの携帯の待受けになってたジョン・フルシャンテ
急逝したヒレル(Hillel Slovak)の後釜に、チリペッパーズのファンだった当時18歳のジョン(John Frusciante)がギタリストとして加入。
↑この動画はその頃のジョンがレッチリのメンバーとして初めてステージに立った時の映像とな。(まさか、日本の凡人がこの様子を見れるような日が来るとは)
アンソニーが、レッチリの曲を弾けるファン?だか追っかけ?だった青年に声をかけたというエピソードはよく目にしてきたけど、ただ単にファンだった青年をメンバーに迎えたというより、やはりレッチリの曲(まだまだ売れてるバンドとは言い難い頃!)をジョンならではの味のあるギターで弾き倒していたその才能に惚れ込んでいたってことがこの映像から伝わってきますな。
ジョンはその後、前例のないようなまさにカテゴライズ不能な独創的な名曲の数々を創出http://youtu.be/Mr_uHJPUlO8。バンドに欠かせないギタリストとの評価も上がっていったが『Blood Sugar Sex Magik』リリース後の92年5月の来日公演中に失踪、勝手に帰国してバンドを脱退してしまう。
ちなみにこの時の失踪直前となる横浜公演を当時のカノジョと見に行っているのだけど、これまでに観てきたそのほかの来日アーティストの“コンサート”とは全然違った空気感に衝撃を受けたものでした。横浜文化体育館の前から12列目くらいの席だった! この翌日(翌々?)にまだ公演が控えているのにジョンはいなくなってしまった。。。
「ロック」という言葉でカテゴライズできない新しいもの(まさにオルタナティブ!)が次々と誕生し、それが日本でも生で観ることが出来るようになりはじめた頃の話。椅子席の渋谷公会堂で見たフェイス・ノー・モアもかなり衝撃的でした。
ちなみにこの半年後にそのカノジョと結婚。←どーでもいーか(笑)。
そして、2002年。アルバム『Californication』でなんとジョンがメンバーとして復帰。
同名タイトル曲は、カリフォルニアの青いバカ風の能天気なイメージとは裏腹に、どんよりした曇り空のようなカリフォルニアの病んだショービズの世界観をジョンのギターを筆頭にバンドが表現。アンソニーは盟友カート・コバーンを引き合いに、これまた秀逸な詩をのせて歌った。
“Cobain can you hear the spheres Singing songs off station to station”
“Dream of Californication Destruction leads to a very rough road”
こんなことを歌ったことが、やりたいようにやってきた自分たちへのオトシマエなのか。
サブスタンスであろうとしていたかのような彼らは、メインストリームへ躊躇なく躍り出るようになっていった。
巨額がとりまく巨大なバンドとなっていき、メディアの扱いもメジャー級に。
ただ……、いや、だからこそなのか。マイペースで作品を出し続けることができるようになり、時には現代アートの巨匠や芸術家を巻き込んでアーティスティックなアートワークやミュージックビデオを発表。独自の感性を具現化させた作品を創り続けていくが、やはり……。
09年12月、ジョンはスッと脱退してしまった。http://www.oricon.co.jp/news/music/71752/full/
今回はメンバーも合意の上で、古くからのファンなら、なんとなく予感していたことでもあった。ジョンは今、21世紀の3大ギタリストの一人と言われているそうだ。
あ、同窓会に出かけなくちゃ。
今日は中2の脳みそたっぷり使ってこよう!
そして、2006年フジロックでは、小5の倅も一緒、家族3人でレッチリを観ている。
参考 コドモと一緒にフジロック http://wonder.petit.cc/muscat1b/categories/39550/
この時のステージは、カミさん曰く「最上級のジョン」だとのこと。
何度も何度も力説してた(笑)。
でも、本当、オープニングのジャムから「キャント・ストップ」への冒頭を見ただけでも
ジョンが調子良く気持ちよさそうに暴れているのがよくわかる。
1997年 第1回目のフジロックにレッチリ出演 http://wonder.petit.cc/banana/20070725225703.html
追記2
19歳のジョン(パンパース)1989年
