東日本大震災で揺れた時@六本木 3.11

■芋洗坂から六本木交差点方面を見上げる(まだ揺れている)

つぶやきに残していたメモを元に、昨日のことを書き残しておく。

3月11日(金)14時30分頃からの長い1日
 
芋洗坂の途中にある吉野家で一人遅い昼飯を食べている最中に最初の揺れ。あまりにも大きい揺れに驚くも、ほかの5人程度の客も店員も素知らぬ顔。ガラス越しに道路でしゃがんでいる人や、空や六本木交差点の方をじっと見ている人が見えて、この揺れ、尋常じゃないという恐怖感。

 

 

でも、店内の人たちみんな強がる風なそぶりでまったく動じない。
出入り口が取っ手も何もない自動ドアだったことも気になり、まだ、食べ始めたばかりの牛丼大盛りをそのままに、「ドア開けた方がいいですよ」と席を立って、ほかの人たちにも注意を呼びかけた時に、コケそうになるくらいの強い揺れがきて、ほかの2~3人も慌てて外に。
 

坂の途中から六本木交差点の方を見上げると、再営業を開始した新しいアマンドのビルが、ほかの丈夫なビルとの比較もあって、折れそうなくらい大きく揺れているのがわかった。自分もガードレールに寄りかかりながら立っているのがやっと。ふと周りを見渡すと、たくさんの人が建物から出てきて、そんなビルがグラグラ動いている様子に目が釘付けになっている人や、しゃがみ込んでいる人で芋洗坂はいっぱいに。(一番上の写真参照)

 

 

気が付くと六本木交差点周辺の“車道”にも人があふれかえっていた。

たちまち、非日常の世界である。
何かごわぁぁぁ~ん、って音がしていたような気もするんだけど、それは視覚的イメージから生まれた幻聴なのか? 今でははっきりとしたことはわからない。
外にいても船に乗ってるような揺れで、自分もガードレールに手をついて立っていた。なんだか、大友克洋の「AKIRA」でよく見た、巨大建造物が崩れる描写のような現実がこの先訪れるかもしれない、というような恐怖感だった。
<こんな感じのイメージが脳裏をよぎる、マジで。>

 

 

揺れが収まった頃、ほかのお客さんたちと共に吉野家店内へ戻り、自分は楽しみにしていた大盛りを平らげて、徒歩3分ほど先にある編集部へ戻った。そして、しばらくした後に、再び大きな揺れで、会社の入ってるビルから外に出るよう避難勧告。
ゾロゾロと社員がビル1階のピロティーへ。
ゾロゾロ階段下りは、訓練以外では初となる。(←ランキング記事風に)

 

その後も、揺れる度に「外に出てはビル内へ戻る」というのを繰り返した後、最終的にはビル内の全員が隣の避難エリアに指定されている中学校のグランドに待機することになった。

この15時半頃にはテレビでも北陸の津波被害の様子をヘリからの空撮で中継していて、浦和レッズファンTくんは、携帯のワンセグでそれをみんなに公開。
車や家がゴロゴロと水に流されていくニュース映像は、あまりにもウソっぽくて、口々に「スゲェ~」「マジかよ!?」なんて言っていたものの、

実はこの時は全然ピンと来てなかった。

携帯の小さな画面だったってこともあるかもしれないが、やはり現実として受け入れる準備ができていなかったのだろう。それに、さっき実際に肉眼で見たビルの曲がっている様子のインパクトの方が脳裏にひどく焼き付いていて、それがまだ脳内で整理・処理できていなかってのもあるかもしれない。

<16時頃>

その避難場所の中学校のグランドにて、各部署ごとに部員の安否確認を総務に報告次第、業務を終了するように指示が出た。とりあえずみんなゾロゾロと会社へ戻る。電車は動いていない、いつ動くかわからない、JRはこの後も動かないことを早々に決めた、などなどの情報が飛び交い、みんな帰る方法を模索。自分はこの週に特集を抱えていたので、、いろいろなリスクが頭をよぎる。

しかも、やっとの思いで取材を受けてくれることになった、ディアステージのもふく社長の取材は、明日土曜日のお昼に控えていた。場所はうちの会社だ。
せっかく取材に応じてくれた話なので、こちらから反古にするのはもったいないので、とにかく取材延期の話はこちらからは切り出さないことに決め、どのような展開にも対応できるようにと、早々に会社に泊まることも決意。バードくん(仮名)にコンビニ弁当を買い込んできてもらって夜に備える。
 

コンビニの食料品はあっという間に底をつく

深夜1時ころ六本木交差点(何故かメルヘンチックな写真に)

<21時頃>
安否確認がなかなかできなかった一人の編集部員ともようやく連絡がついた頃には、社内もだんだん静かになっていき、電車が動くのを待っているか、泊まるつもりになっていた人が仕事をしながら残っているという状況に。相変わらず余震は続き、あの携帯の独特な響きの地震警報もたびたび鳴り、その度にテレビの音量を上げたりして、なかなか落ち着かない。
それに、昼間見たビルのあの動く様子がたびたび脳裏に浮かぶ。やはり相当なインパクトだったのだろう。

 

 

※その当日、携帯がつながらなかったのでとりあえずこのサイトの「つぶやき」欄に細々と状況を書き留めていた。安否アピールのために自然とそんな事をしていた。
 

追記2
:その避難場所となった中学校の元PTAでもある友人(フラダンサー)の情報によると、この日、そのグラウンドに避難した人の中にはアイドルとして超人気の●●もいたそうだ。誰も気付かなかったなァ。

 

 

追記1:この後テレビでも嫌というほど見ることになる津波の恐怖感はまだない。また、輪番停電や福島原発、ぽぽぽぽ~んのCMばかり見るはめになるということも知らない。

参考資料 横浜駅西口の様子  ビルの揺れる様子や地割れ

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